代表挨拶(代表:出水康生)
1985(昭和60)年6月8日に鳴門大橋、1988(昭和63)年4月10日に児島・坂出の瀬戸大橋、1998(平成10)年4月5日に明石大橋、1999(平成11)年5月1日に尾道から今治までが「島なみ海道」で繋がり、本四が三架橋によって連絡された。
思い返せば、鳴門大橋・明石大橋開通で阿波・讃岐・淡路(ASAトライアングル)が京阪神に直結され、阿波徳島から京都への上洛が3時間余で可能になった時、450年の昔に同じルートを水軍の機動力によって進出し、京畿・堺を支配した三好長慶、戦国三好一族の歴史を偲ぶ声が上るものと信じていたのに、誰一人もその輝かしい歴史に言及する人が居なかった。多大の支出の記念事業が展開されたが、それが東京の大企業の広報・イベント会社による一過性の事業で、“こころ”がどこにあるか解らぬものであった。
そのことに反発して、孤軍奮闘の反骨の志でもって、阿波・伊予・讃岐・土佐の四国を「あいのさと」と語呂を合せ、『戦国三好盛衰記・阿伊讃土・青嵐の群像』(PHP京都)を半年で書き、『私のエンマ帳 ― 蟹の穴掘り・梟の説法』(教育出版センター)を37年の教職定年を記念して平成11(1999)年1月11日の1並びの日に同時に出版した。
そして同年の7月11日の『徳島新聞』による広報を承けて、7月12日に「三好長慶会」の設立会が挙行され、県内外から62人の人々が参集して結成された。
「三好長慶会」の設立は、これまでの「ぼやき・嘆きが多くてへらこいのは県民性」として自慰、自虐してきた「愚かさ」を克服するもの、「阿波人の最も輝いたのは細川・三好時代、阿波藍の全盛の時代」とされることを今後の後生に知らせ、故郷の歴史にプライドを持って未来に生きる勇気を与えるもの、とすることを心中に秘めてのものであった。
現在では会員も設立時の3倍以上に増え、異能・異業の多種多様な有志の集団となっている。支えてくれた多くの善意と好意に深く感謝しつつ、さらなる飛躍をここに誓いたい。
【ホームページの開設にあたって・十五周年記念誌発刊と共に】
アナログからデジタルへの転換、光ファイバーによる高速通信など急速な情報革命が進んでいる。われわれアナログ人間も、IT、HPなどの略語やカタカナ語に困惑しながら、インターネットでの「検索」による万事の調査が可能で、その簡便性の恩恵にあずかっている。
三好長慶会は「故郷の歴史の再認識・PRを」との素朴な意志を「いつもいつも信長・秀吉・家康でもあるまい。信長の直前20年の三好長慶時代こそ見直されねばならない」との反骨でもって表現・活動して来た。
15年前の創立当初から先導的なホームページの開設が何度も提言されながら、その管理・更新のわずらわしさに躊躇して実現されなかった。今回の『三好長慶会十五周年記念誌・戦国天下人三好長慶を語る』を2013年8月1日を期して発刊すると同時に、記念誌出版の制作を担ってくれた出版社の社員が一会員として、その“異能”を発揮して管理事務局を担当してくれることになり、開設へと至ることができた。
10周年までの“筆舌”による活動から、この5年間には筆舌と共に映像・DVDによるケーブルテレビでの放映や、DVD配布による活動が付加された。15周年を期し、それまでの着実な活動を基礎にして、ホームページによる提言、相互交信による同士、同志との活動拡大を展開する。会員相互のリンクなど未知なる不特定多数の交信によって、望外の好結果が生まれることを期待する。
この目的達成のためには確固たる姿勢による提言・発信と共に他よりアクセスされて提言される事項に、こまめに誠実に対応することが求められる。
会員が“強い個”として異能を発揮して連帯し、異業の多種多様な有志の集団となっている三好長慶会(220名)が時代に即応しながら、共生、共栄、共楽を趣旨としておおらかに活動・発展できることを祈念している。
50名近くの執筆による200頁の『三好長慶会十五周年記念誌・戦国天下人三好長慶を語る』と共にこのホームページ開設が同時に実現できることを喜びとする。
活動沿革
三好長慶会の歩み・「三好長慶会」設立
1999年 7月12日 |
於 徳島駅前「ヨンデンプラザ二階カルチュアスタジオ」 講 演 出水康生「三好長慶とその時代」 出席者 三好長慶会創立会 三好長慶会例会 ※年に5,6回の例会を開催しております。会員各位の研究発表の他、各種イベントにも参加しています。 |
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1999年 9月27日 |
於 ヨンデンプラザ 戦国三好一族の後裔の顔合せ・紹介。系図、伝承交換 |
2000年 3月26日 |
於 藍住町見性寺 三好氏菩提寺見性寺、墓参、住職講話 |
2000年 6月26日 |
於 ヨンデンプラザ 漆原伯夫「利休の妻と三好氏」 出水康生「三好氏と堺の南宗寺・妙国寺・顕本寺」 |
2000年 9月23日 |
於 藍住町見性寺 藍住町内三好氏 総法要、三好之長元長肖像公開 出水康生「三好長春妻の墓碑(香川県・山本町)」紹介 |
2000年 11月27日 |
於 ヨンデンプラザ 小松格「文禄慶長の役と倭城」 出水康生「南海道の熊野・安宅・阿波水軍」 |
2001年 3月12日 |
於 ヨンデンプラザ 石原侑「堺の鉄砲と三好氏」 出水康生「細川、三好氏と阿波公方」 |
2001年 5月7日 |
於 ヨンデンプラザ 小松格「畿内における三好関係の諸城」 出水康生「阿讃淡の三好関係の諸城」 |
2001年 7月23日 |
於 ヨンデンプラザ 須藤茂樹「三好長慶天下を制す」展 出水康生「戦国三好一族に関する新発見」 |
2001年 10月1日 |
於 ヨンデンプラザ 小松格「朝鮮水師提督を倒したのは阿波水軍か」 永井英彰「勝瑞城館と現代企業」 |
2001年 11月11日 |
於 徳島城博物館 「三好長慶天下を制す」展 三好長慶会員四十人、大阪高槻より三十五人、香川県各地より二十人が盛況の展示を見学、集会学習。 大河ドラマを実現する会の結成 「三好長慶、天下を制す」展による三好長慶、戦国三好一族の「天下取り」の歴史事実を周知するには、メディアによる報道がベストな方法として、「三好長慶ゆかりの大河ドラマ」を、としてその実現を期する会が結成された。 |
2002年 3月25日 |
於 ヨンデンプラザ 小松格「北政所の本名は「ねね」か「おね」か」 出水康生「戦国三好一族と茶の湯」 |
2002年 5月7日 |
於 ヨンデンプラザ 小松格「北政所の悲劇、秀吉の霊廟はどこに消えたか」 出水康生「戦国三好氏と千利休、大徳寺聚光院」 |
2002年 9月2日 |
於 ヨンデンプラザ 小松格「阿波水軍と韓国順天市の縁」 出水康生「大徳寺聚光院、上洛遺聞」 「三好芥川城の会」(高槻市)設立(7月23日) |
2002年 10月5日 |
於 ヨンデンプラザ 福良敬之「福良氏のルーツ調べ」 小松格「倭城を探訪する」 |
2003年 2月24日 |
於 シビックセンター五階 吉成雅彦「三好長慶の死因の医学的考察」 |
2003年 4月7日 |
於 シビックセンター五階 酒井勇治「毛利の両川体制について」 |
2003年 7月15日 |
於 シビックセンター五階 浜田暁良「歴代天皇と年代表」 出水康生「戦国阿波の合戦年表」 |
2003年 9月8日 |
於 シビックセンター五階 諏訪雅信『三芳野の花、三好長慶の生涯』 出水康生『天下を制す三好長慶VS織田信長』 |
2003年 11月3日 |
於 シビックセンター五階 三好兼光「伊吹島三好氏、仙台三好氏、聚光院襖絵」展 出水康生「キリシタン大名蜂須賀家政」 |
2004年 3月15日 |
於 シビックセンター五階 小松格「三好義興について」 出水康生「ヴァチカン宮庭園に蜂須賀桜植樹」 |
2004年 5月24日 |
於 シビックセンター五階 出水康生「安土山城のすべて」 「安土山城探訪」(6月13日) |
2004年 9月20日 |
於 シビックセンター五階 岩朝雪昭「珠玉の郷土史」 浜田暁良「松永久秀の生涯」 |
2004年 11月29日 |
於 シビックセンター五階 小松格「三好長慶と京町衆」 吉兼甲氏「海から眺めた長慶の頃」 東條英機「海部氏吉の短刀」 |
2005年 3月14日 |
於 シビックセンター五階 福良敬之「源義経の阿波勝浦上陸」 東條英機「三好長慶と海部刀、旗・幕紋」 |
2005年 5月9日 |
於 シビックセンター五階 吉兼甲氏「古沼のかたより眺めた長慶のかげ」 瀬山励「阿波から大阪湾周辺の水主たち」 |
2005年 10月24日 |
於 シビックセンター 小松格「細川頼之と讃岐」 浜田暁良「三好康長(笑岩)の生涯」 三好氏関係資料紹介『新三野町史』 『よみがえる古城群』 『墨俣一夜城』 |
2005年 12月5日 |
於 シビックセンター五階 小松格「悲劇の武将、十河存保」 東條英機「天下人の象徴、名物刀剣の移転」 永井英彰「池泉式庭園と主殿」 |
2006年 1月15日 |
於 グランドパレス 国民文化祭参加、旗上げ新年会 |
2006年 3月6日 |
於 シビックセンター五階 出水康生「天野忠幸、三好氏の畿内支配とその構造」 県民企画「戦国三好フェスティバル」企画案 |
2006年 4月28日 |
於 シビックセンター五階 東條英機「海部刀と阿波鍔」 浜田暁良「刀剣目利者、三好釣閑斎政康」 出水康生「戦国天下人三好長慶、戦国三好フェスティバル」の県民企画優秀賞 |
2006年 6月2日 |
於 シビックセンター五階 小松格「讃岐の三好一族の事跡」 出水康生「松永久秀の名誉回復」 |
2006年 9月8日 |
於 シビックセンター五階 出水康生「勝瑞城館発掘、三好館」 野田靖之「長慶を現代に生かす、戦国産品考案」 |
2006年 11月10日 |
於 シビックセンター五階 千葉勲「三好長慶と生誕地芝生城」 小松格「阿波踊りの起源と豊国祭」 出水康生「三好長慶パンフレット」刊行 |
2007年 1月25日 |
於 グランドパレス 『戦国三好フェスティバル』新年懇親会 |
2007年 4月27日 |
於 シビックセンター五階 高橋敏夫「戦国三好節」の発表 東條英機「海部刀と阿波鍔」 出水康生「三好長慶の畿内の足跡」 |
2007年 7月1日 |
於 四国大学交流プラザ 国民文化祭「戦国天下人三好長慶、戦国三好フェスティバル」プレシンポジウム 天野忠幸「三好長慶、京畿内での事跡」 |
2007年 8月4日 |
於 高槻市 国民文化祭「戦国天下人三好長慶、戦国三好フェスティバル」プレイベント 「第三十八回高槻まつり」武者行列 |
2007年 8月12日~15日 |
於 阿波踊会館二階 国民文化祭「戦国天下人三好長慶、戦国三好フェスティバル」プレイベント 「阿波踊り、阿波木偶、絵画資料」展 |
2007年 11月26日 |
於 シビックセンター五階 永井英彰「戦国三好フェスティバルの総括」 出水康生「三好長慶会の再出発」について 戦国三好フェスティバルの映像、写真の鑑賞、交換、注文 |
2007年 11月30日 |
於 阿波踊会館 他 第22回 国民文化祭徳島大会 県民企画『戦国天下人三好長慶、戦国三好フェスティバル』 旗揚げパレード、シンポジウム、全国交流会、資料展示 |
2008年 3月24日 |
於 シビックセンター五階 中野成美「郡城と上桜合戦」 出水康生「本能寺の変と三好氏、長宗我部氏」 |
2008年 5月30日 |
於 シビックセンター五階 野田靖之「将軍義輝と三好長慶の食膳」 出水康生「三好長慶、三好一族の格式」 |
2008年 9月26日 |
於 シビックセンター五階 秋田忠昭「三好郡と三好一族」 出水康生「三好長慶の評価の変化」 |
2009年 3月21日 |
於 シビックセンター五階 三木計夫「福者ディオゴ結城了雪の生涯」 出水康生「松永久秀・再評価の動き」 中村勘三郎氏桂林寺墓参(4月15日) |
2009年 6月26日 |
於 シビックセンター五階 重見髙博「勝瑞城館・三好館―発掘から見た戦国ロマン」 出水康生「三好長慶・松永久秀の再評価から実像へ」 |
2009年 9月28日 |
於 シビックセンター五階 石原侑「勝瑞から徳島への街作り」 三好市歴史探訪(10月12日)について |
2010年 3月19日 |
DVD『戦国天下人三好長慶、故郷のない天下人、なぜ』 |
2010年 5月21日 |
阿讃交流の歴史、四百五十年の昔と今 加地善一「阿波三好氏と加地氏の関わり、讃岐三白」 三好兼光「伊吹島三好氏の昔と今」 ○「三好長慶四百五十年忌法要・全国集会」について7月4日於大徳寺聚光院 |
2010年 9月24日 |
於 シビックセンター五階 秋田忠昭・中野成美「土佐長宗我部勢の阿波侵攻」 出水康生「三好長慶三好長慶四百五十年忌法要・全国集会」の報告 |
2010年 11月29日 |
於 シビックセンター五階 出水康生「三好実休と千利休と勝瑞」 |
団体名 | 三好長慶会 |
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設立 | 1999年7月12日 |
住所 | 徳島市川内町平石流通団地27(事務局代行) (入会後の諸連絡については直接代表まで) |
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